8月11日、夜、David Howard氏が亡くなりました。
バレエ界の歴史に残るバレリーナである、
ナタリヤ・マカロワ、 ゲルシー・カークランドをコーチ。
現代のバレエダンサー、バレリーナの多くも彼に指導をうけ、彼に力になってもらった人が多く、彼が亡くなった知らせを聞いてダンサーたちはショックを受けています。
デービットにかかわった人の殆どが『彼のレッスンを受けた』、と言うと思います。
私もレッスンを受けました。
彼のクラスへ行くと必ずスターに出会えます。
ポリーナ・セミオノワ
ディアナ・ヴィシニョーワ
マルセロ・ゴメス
アリーナ・コジョカル
ヨハン・コボー
彼のクラスを受けていたスターダンサーは書き出すと終わらないでしょう。
アメリカン・バレエ・シアター、ニューヨークシティーバレエはもちろん、世界のダンサー、若手からプロ、そして高齢の方々まで多くの人が彼のレッスンを受けに来ました。
76歳、亡くなる数日前までステップス・オン・ブロードウェイでレッスンを教えておられたそうです。
私はデービットにピアニストとしてご縁を頂きました。
私がニューヨークに来てやっとビザが取れてピアニストとして仕事が出来るようになり、
あちこちのバレエスタジオに出入りするようになったとき、
『デービットのクラスを弾く』というのは目標でした。
彼のクラスは目玉クラス。
クラスにはプロダンサーが多く、人数も込み合うので、ピアニストの責任は大きいクラス。
誰でもすぐには任されません。
2005年6月11日。
初めて私がデービットのクラスを弾くことになったとき、
失敗したら次はない。と覚悟して椅子に座りました。
初回が大事だから頑張る!と母にメールしていました。
スタジオに入る前に外にいるデービットに挨拶しました。
「今日は初めて貴方のクラスを弾かせてもらいます。曲はどんな曲が良いでしょうか?」
私は初めての先生のクラスを弾くとき、いつも自己紹介と先生の好みを伺っていました。
クラッシックじゃないとダメという先生、ジャズやミュージカルみたいな楽しい曲を多く弾いて欲しいという先生、即興が一番イイという先生、色々です。
この質問にデービットはニコリとして
「どんな曲でもきみが弾きたいものを何でも弾いたらいい。」
と言われました。
スタジオに入って奥にあるピアノまで歩くとき、ストレッチをしているダンサーたちが私を見ていました。
デービットのクラスを弾くのは特に難しい事はありませんでした。
ただダンサーが多く、プロも多いので説明時間が短くて、ずっと弾き続けるので、他のクラスの2倍は弾いているような気がしました。
クラスのあとデービットに『とても良かったよ。』と言って貰いました。
それから私はデービットのクラスを臨時で弾く機会が増え、
その同じ月からデービットに認めていただいてレギュラーになりました。
弾き終わるといつも私がThank Youと言いに行き、デービットもThank Youと言ってくれて、時々握手を交わしました。
デービットのレギュラーになったとき、ニューヨークのバレエピアニストとしての自信が持てました。
どこへ行ってもデービットのクラスを弾いている、と言うと『Oh、Ok!』とすぐに信用されました。
デービットはクリスマスに50ドルのチップとクリスマスプレゼントをくれました。
ピアニストにチップをくれるなんて愛情があるなぁ、と驚きました。
ある日、ミハイル・バリシニコフが少し遅れてレッスンに来ました。
クラスにいた全員がうわぁっ!と息を吸いました。
そして2007年3月にデービットから彼が監督をするバレエレッスンCDを作るお話を頂きました。
私の初めての1枚目のCDでした。
それは光栄なことでした。
そして6月にミッドタウンの録音スタジオに二人で入りました。
デービットは私の横に座って、「きみがやり直しと思ったらやり直せるから遠慮なく言いなさい。」と言って、録音がスタートしました。
デービットは横でジェスチャーをして、『ここでバランスのフレーズを足して』、『もうすぐ曲を終わって』、とジェスチャーをしていました。
あっという間の録音で一度もやり直しをせずに進みました。
さらっと終わって、デービットが『さて、お寿司を買って帰る。僕は日本食、とくにお寿司が大好き。』と言っていたのを覚えています。
私はニューヨークに来て、晴れてピアニストとしてビザが取れてからはピアニストとしてとても忙しくなりましたが、時期にバレエを再び再開し、彼のレッスンを時々受けました。
他のダンサー達にいつも、『今日は弾くの?それとも受けるの?』と聞かれました。
2010年に、わたしはHariyama Ballet New Yorkのスタジオを契約しました。
ピアニストとの両立が難しくなって、バレエスクールに専念しようと決めました。
デービットのピアノをやめるのは惜しい気持ちもありましたが、本当にやりたい事に専念しようと思いました。
デービットは確か1970年代にご自分のスタジオをお持ちでした。
しかし自分のスタジオを運営・経営・指導することが大変でご自分のスタジオは閉めたそうです。
こんなに有名なデービッドですらスタジオを辞めたのに、私みたいな日本から来てまだまだな小娘が自分でスタジオをやろうとしているなんて『無理・無理』と思われる気がして、
バレエスタジオに専念するために辞めます、と言えませんでした。
そのとき理由は『バレエを頑張りたいのでしばらくピアノは休業します。』と言ったと思います。
だけど、かなり経って久しぶりにデービットのレッスンを受けに行き、
『お久しぶりです。』と挨拶をしたときに、
『きみのスクールはどう?How is your school?』と聞かれました。
ビックリしました。
デービットが誰に聞いて知っていたのかはわかりません。
でも気にかけて、そう言ってもらって驚きました。
『少しずつ順調にやれています。』と言うと
『良かった、良かった。』と言ってくれました。
最後にデービッドのクラスを受けたのは今年6月。
いつも朝、ベンチの同じ場所に座っていて、お早うございます。と挨拶をします。
その日のレッスンで随分と咳をされていたので心配でした。
亡くなったという実感がないです。
みんなそうだと思います。
デービット、有難うございました。
あなたの事はずっとニューヨークに語りづがれると思います。
そして私があなたに与えて頂いた経験は私の人生でずっと生きていきます。
ですからこれからもよろしくお願いします。
40数年間、ご指導お疲れ様でした。どうぞゆっくりとお休みしてください。