先日のウィンターパフォーマンスはキッズブルーから大人たちまでとても頑張っていて、皆が生き生きと踊っている姿を見てとても嬉しかったです!!
頑張って練習した生徒たち、指導して下さった先生方には感謝の気持ちでいっぱいです!!
ピンク組ももうすぐ出られるように頑張りましょうね!
さて年末から私が体調が悪くお休みもして皆様にご心配をおかけしました・・・。
日本滞在中は病院と自然を見に行く事ぐらいで殆ど何もせず、おまけに帰国予定日には急性胃腸炎になり動けなくなってしまいました。
でもパフォーマンスには帰る!!!と言い切って帰ってきました。
ここから少し長文になりますが、書きたくなっちゃったので書いてみます。。。
お暇なときに読んでやってくださいまし。
今の私は「やりたい!と思うその心に体が着いてこない・・・」そんな状況です。
そもそもアメリカに来た時から不安や緊張は始まっていたのかもしれないなぁ。
もはやそこから今に繋がっているのかも。
ニューヨークに単身来たのは12年前の1月でした。
もうそんなにアメリカにいるんですねぇ。
英語、まったく分からなかった。
英語わからなすぎて笑い話がいっぱいあります。
お店でコーヒー1つと言うのも勇気がいりました。勇気を出して言ってはみても通じない。
私の発音バカにされてる?と思う時も何度もありました。
地下鉄乗るのもドキドキ。
道を間違えることもしょっちゅう。
辞書を引きながらの毎日勉強。
そもそもアメリカ来た理由なんて全く恰好いいものではありませんでした。
バレエを挫折し、アトピーのステロイドの副作用で全身が膿んで腫れて、引き籠り。
お先真っ暗、性格真っ暗、な状態でした。
人生に挫折して、喪失感の中、生きるか死ぬかを選ぶなら、誰も知らない所へ行ってやろう!と思ったのです。
その時は申し訳ないけど、家族からも友達からも逃げたい気持ちでした。
みんなに私がどうしているかなんて知られたくない。
みなさんもそういう苦しい時がきっとあったでしょう。
でもその時に、アメリカへ行っちゃおう!という勇気が出たことは本当に良かった。
なんでニューヨークだったんでしょう。
それは姉の愛美と祐美とニューヨークは旅行したことがありました。
広々したセントラルパーク、迫力満点のレストランの料理、そしてアメリカンバレエシアターに感激しました。
そのアメリカンバレエシアターを見て感動しまくっていた私に、姉の愛美がメットのシアターで急にメモ書きをしました。
「まみ、絶対アメリカンバレエシアターのピアニストになる!」って殴り書きして渡されました。
私は笑いながら受け取りましたが、その14年前のメモ書きは今もお財布に入ってます。その時のことから今を思えば、と元気が出るお守りなんです、
その旅行から2年ほどして自分には何の自信も無く最悪の状況でニューヨークに来ました。
こちらに来た時はまだステロイドの副作用で顔も腫れてました。
ニューヨークに来てからは家族にはイイ事だけをイイように報告しようとしていました。
アメリカで元気だよ!。今日も色々あったよ!って。
心配させないように、と言うのもあるけど、どちらかと言うと、いい所を見せなくちゃ・・・という。
日本で溜めてきた100万円を使い切ってしまったら日本に帰るしかない。と思っていました。
三姉妹でバレエをやらせてもらうための、親の援助、そのための親の頑張りは骨の芯まで分かってました。
だって本当に大変でした。
だから私たちは三姉妹、早く自立しよう、と思っていました。
どうやったらアメリカで働ける?バイト出来る?
何も分からなかったけど、だんだん英語もわかるようになってきて、自分が出来ることはピアノではないか?と勇気を出してブロードウェイダンスセンターを尋ねました。
ドキドキです。
しばらくスタジオ内をウロウロして物色。誰に話して良いのかもわかりません。
とりあえずOFFICEと書いた戸を叩いて、「バレエピアノを弾きたいのですが。」 と申し出ました。
そんな感じでSTEPS ON BROADWAYも尋ねました。
そもそも、ピアノの話しにちょこっと戻りますね。
バレエ学校時代にバレエスタジオのピアノでバリエーション曲を弾いて遊んでいました。
それがきっかけで17歳の時に大阪日露教会の代表者の方からお電話を頂きました。
「急にピアニストが来れなくなったの。明日からワガノワの講習会弾けない?!」って。
めちゃくちゃビックリですよね。と、言うか日露教会もめちゃくちゃ困っていたのでしょうね。
それで私は急遽ピアニストとして出向くことに。
しかもワガノワ。
いつもは講習会を受けている側ですが、今回はピアノのお仕事!!
しかも先生は、あのディアナ・ヴィシニョーワの先生!!!
コワリョーワ先生は大好きで本当に尊敬する先生です。
そのコワリョーワ先生にバレエも良く分かってるし、バリエーションが沢山弾ける私は気に入って頂けて、あちこち着いて行くことになりました。
これが私のバレエピアニストとしてのきっかけでした。
コワリョーワ先生、そしてグリバーノワ先生には可愛がっていただきました。
一緒に回転寿司に言ったり、温泉入ったり・・・。笑。
言葉ほとんど通じませんけど、なんとなくね。
あの先生方のピアノを弾くということは私の今のバレエ指導にとってすごく勉強になりました。
お金では買えない価値です!!
ということで、アメリカ話に戻りますが、
結局ピアノの申し込みはお断りされました。
だって、ビザがスチューデントビザなんですもの。
スチューデントビザで働けないの??っそれも知らないレベル。
ブックオフに言ってビザの本を読みあさりました。
インターネットとにらめっこしてビザの事もいっぱい調べました。
そして自分がもしかしたら取れるかもしれないビザはアーティストビザでした。
もしかしたらの為にビザを取る準備をしました。
お金ないですからね。
だから全部自力。
弁護士頼んだら相場は4000ドル~6000ドルです。
そんなお金使ったら暮らせないです。
お勉強だと思って、またまた電子辞書とパソコンとのにらめっこの毎日。門前払い確実だろうと思わるようなところにも色々と出向いてお願いして書類を書いて貰いました。準備には数か月かかりましたね。
厚み10センチくらいのドキュメントが出来ました。
さぁ送るぞ!
ドキドキでした。
週の頭にフェデックスで送りました。
週の金曜日に受理されました!!
運命変わった!!!と思いました。
そのころには性格も前向き、積極的になってましたね。顔の腫れも引いて、アトピーも何処かへ言ってました。
これでアメリカで働ける!!!
2005年でした。
自立できる!!!
やったーーーー!!!!
晴れてあちこちのダンススタジオにもう一度出向いて採用して頂きました。
もちろん初めは週1とか週2のペース。
でも1年たつ頃には7日間スケジュールがビッシリ!!!
弾きすぎ?!と思えるレベルでした。
このころからはバレエも再開していました。
だってピアニストはフリーでレッスンを受けられるんだもん。素晴らしいでしょう!!
だからみなさんには「今日は弾くの?受けるの?」ってよく聞かれたものです。
ピアノを弾きながらバレエの大スター達を何度も見ましたね。
一番はやっぱりバリシニコフ様でしょう。
世界のあらゆるバレエ団のダンサー様をレッスンで拝見しました。
それからアメリカンバレエシアターで弾く夢も!!
叶いました!!
ABTで専属ピアニストをしていた方からが推薦してくださってお声をかけて頂きました。
まさか叶うとは。あのメモ書きがです。
ピアノの場は私がバレエの知識を盗む場でもありました。
そんなこんなでピアノは大忙しで、バレエのレッスンも受けてはいましたが、自分に疑問が出てきました。
ずっとこのままピアノ弾き続けるのかい??
いいのかい?
わたし、幼稚園の年長さんのときタイムカプセルに入れるために皆で吹き込んだテープ。
将来の夢!というテーマで、
「バレエの先生になりたいです!」
と言ったんですよ。
バレエやらなくていいのかい?
中学、高校と深夜まで練習してきたバレエ。
バレエをやりたい。
そう思うようになりました。
そこで始まったのが針山真実のバレエクラス!
2005年の10月ですね。
忘れもしない第1回目のレッスン。
私は黒いタイツで。
なんと生徒が7名も集まってくれました。
くまのぷーさんのノートに皆さんの名前とメールアドレスを書いてもらいました。
おかっぱ頭のかおりさんも居ましたよね。
それから週1回、針山真実のバレエレッスンがスタートしました。
自分で告知をして、スタジオを予約して、
家族にも 「バレエを教えるようになったよ!」 と報告。
大人の皆さん、楽しんでくれている様子でした。
でもね、気まぐれな大人さんたち。
時には一人レッスンの日もありました。
やれやれ。
でも少しずつ口コミが広がってお子さんも教えて欲しいという依頼が!
頼まれたら断らない!
必要とされたら行きます!
こんな私なので子供クラスも出来ました。
大人クラスも徐々に増えていきました。
子供クラスというか幼児クラス?!
でもちゃんとストレッチさせて、ポディション教えて、ちゃんとしたバレエを教えました。
厳しく楽しく正しく!がモットーです。
初めての発表会!
それは強引な大晦日パフォーマンスという名。
その日しかスタジオが取れなかったんです。
大晦日の朝という結構迷惑な日程!?
でもハリヤマバレエの初パフォーマンスです!!
人数は10数名かな?
チェロを習っていた生徒にチェロも弾いてもらって、私はピアノも弾いたりして、とりあえずプログラムは色々と入ったミックスプログラムで、
なんかアットホームなパフォーマンスでしたね。
だんだんクラスも増え、スタジオを借りる時間帯も増えていきました。
ピアノ伴奏が減ってバレエ指導が増えていきました。
楽しい毎日!!
遣り甲斐ある毎日!!
姉の祐美の日本のバレエスタジオの生徒さんとニューヨークでコラボレーションパフォーマンスもしました。
パートごとに分けて日本とこちらで練習しておいた作品を一緒にパフォーマンス。
ニューヨークの生徒だけではまだ少なかったし、日本の生徒さんたちと一緒にパフォーマンスすると盛り上がりましたよ。
場内も満員でした。
私はその準備から振り付け、告知、プログラム作り、あれからこれまでをこなして、
真実先生は本当に一人なの?3人くらいいるんじゃない?スーパー先生!と言われていました。
一度は挫折したバレエだけど、また道が開けて、しかも人をリードするという重役。
遣り甲斐を感じずにはいられませんでした。
やはりバレエが好きでした。
うちのスタジオは大人の成長はすごいものでした!パフォーマンスごとに上達!
いつの間にか針山バレエ団と、勝手に勘違いして呼ばれていたり。。。笑。
バレエ団ではございません。
子供たちも素直で可愛くていつもお手紙をくれたりして元気にしてくれました。
私は幸せいっぱい。
そんなこんなで2010年。我がスタジオを契約しました。
あんな英語力で顔腫らしていた私が自分のスタジオを持つなんて。
我がスタジオを持ってからも勢いは止まりません。
自分の勢いですけどね。
朝から2クラス、夕方に子供、夜に大人クラス、と年間1300クラス位を教えていました。
みなさんにスタジオを持っていることがスゴイ!と言われましたが、私には凄い!と思えたことは一度もありません。
本当です。なんで凄い?
だって大盛況のスタジオというわけでは決してありませんでした。
生徒が一人だったりしたことも沢山あります。
でもバレエをやったことが無かった人がチャレンジしに来てくれたり、
1回転できなかった人が回れるようになったとき。
バレエに来ると気持ちがイイ!と言ってもらえる。
バレエで誰かが元気になってる。
バレエで人々の輪ができている。
バレエで誰かの目標が出来ている。
バレエが子供の夢になってる。
そんな事が出来る仕事。とても幸運なこと。
いつも喜びと感謝をしたいと思っています。
私のスタジオに一人でも通ってくれることが有難いことです。
バレエ大好きです。
先日、やっとゼロから育てた生徒たちもコンクールに出れるようになり、皆がんばりました!
スタジオと共に生徒が成長しています。有難いです。感謝感謝。
でもワタシちょっと頑張りすぎたみたい。
バレエって精神力鍛えられます。
ちょっと痛くても我慢。
皮がむけて血が出てもトーシューズを履いて踊りますし、
私は足の甲の筋が切れていてもポワントで踊りました。
だからあまり弱音をはくタイプでは無く、疲れた、とか言わない。
私はいつの間にかイイ所だけを見せる!!そんな癖がついていたのかもしれません。
誰だってイイところ見せたいでしょう。
自分をほめるタイプでもありません。
凄い!と言ってもらっても、何がすごいのだ!?と思う。
私の周りには凄い人、尊敬する人がミリオンといます。
でもアメリカでは褒めて育てるのがイイとされてるんだから、もっと褒めたほうがいいのかしら。
先日、日本で同じくバレエスクールをしている親友にちょっと話したら、
「あなたはアメリカでよ!ニューヨークでやってるんよ!そこからまず全然違うレベル」って褒めてくれました。
ちょっと嬉しかったな。
身体は昨年の秋からはちょっと放っておけない感じに。
異常は初めは風邪だと思ったり、気持ちの問題だと思ったり。
でも9月から、10月、11月、だんだん酷くなるばかり、
熱なんて殆ど出したことないのに、発熱したり、立ち眩みしたり、
胃が丈夫なのが自慢だったのに、吐き気が止まらなかったり。
指導が終わった後は、ズドン!!!!と身体が動かなくなって、家にたどり着けるのかな・・・と思う日もありました。
色々な症状は予告なく毎日突然現れ出てしまいました。
訳が分からない身体の辛さに心も折れそうでした。
お休みを取ることに、私は今までは罪悪感を持っていました。
わたしは休み方が下手です。
いつも考えちゃうんです。
休みでも。バレエの事。スタジオのこと。
先日、思い切って日本に帰りました。
4つのドクターにかかりました。いろいろ調べました。
4人の先生は同じ診断でしたので信じましょう。
皆さんには、どこまで、どのようにお伝えするか、数日間悩んでいました。。。
スーパー先生!はスーパー先生じゃなかったです。
でも生徒の皆さんが原因は何か不安や不思議に思っているという噂も耳にしています。
誤解の想像をされてしまうともっと辛いのでお話しすることにしました。
ブログに書くのはメールができない人もいるので書いています。
今の私は「やりたい!と思う心に体が着いてこない・・・」そんな状況です。
やろう!やりたい!というその気持ちに逆らって突発的に身体が怠くなったり色々な症状が出ます。
お医者様の診断。
「長年の、無意識のうちの不安、疲れ、ストレスが極限を超えてしまい、身体に症状となって現れる障害。1日や2日でなったものではないので、治るのにはそれなりに時間がかかる。頑張りすぎです。」
治るためには、
「無理をしない。休む。リラックスする。ストレス発散する。生活を改善する。」
「半年くらいゆーっくり休めれば治ると思うけど。」
なんて仰っられましたが、それは出来ませーーんって帰ってきました。
バレエを続けてきた以上、人前に出れば笑顔になれます!
でもそうやって笑顔で無理して、もっと悪くなるといけません。
これから少しお医者さんのいう事を聞いてペースダウンさせてください。少し指導を減らします。
昨日、先生方と今後のミーティングをしました。
私が少しでも楽になり、早く良くなるように先生たちがすごく考えてくれました。
頼りになり、力になってくれる、素晴らしい先生たちで感謝の気持ちで一杯です。涙。
9月から先生方を増やすことになったのは神様からのお告げのタイミングだったのかな。
スケジュール変更がありますので、またカレンダーに追加していきますね。
先生たちと話し合って、今のベストで出来る環境にしたいと思います。
そして発表会は開催しますよ!
だって皆んな楽しみにしているもんね。私だって楽しみ。
素敵な発表会にしたいと思っていますので、みなさんご協力、応援宜しくお願いします!!
5月30日 リハーサル。
35月31日本番。
9時半集合の予定。
1時~ 1回目公演
4時半〜 2回目公演
というわけで、発表会、コンクールも予定通り、私も生徒も頑張りましょう!
やるときはやるんです。
やります。
でもやったら少し休ませて下さい。
大人のみなさーーん、発表会出演してくださいね!!
皆で楽しく踊りましょうね!!!
合言葉は❝頑張りすぎず頑張る!!❞
今やっと少し思えました。
ワタシ頑張ってたんだなぁ・・・と。
自分を褒めて、自分の体の声をもっと聴きましょう、休む事もいい仕事をするためには無くてはならないもの、とアドバイスされました。
まだ探りながらですが、数カ月もすればきっと良くなると思います!
だからあまりご心配されないで、適当に声をかけてくださいね。もしスタジオで寝転がっていたら放っておいてください。笑
なお子供たちには、先生はちょっと身体の調子が悪いけど元気になるまで皆いっぱいいっぱい上手になれるように頑張ろう!と言っておいて頂けると嬉しいです!! スケジュール、指導者の変更などで皆様には申し訳ない気持ちでおります。
でも今しばらくの間ですので、どうかご理解とご了承をを頂けますように、心よりお願いいたします。
ワタシを始め指導者一同、生徒たちの事を一番に考えて行動しています。ですからご理解とご了承を頂けますと幸いです。
そして日本から年賀状やカードを送ってくださった皆さん、ありがとうございました。
ご帰国されてからも遠いアメリカにカードを届けてもらえて凄く嬉しいです。
この場を借りて恐縮ですが御礼を言わせて下さい。
ワタシの自伝かい?!位の長さになってしまいましたが、皆さま長々とお読みいただき有難うございました。
そしてこれからもヨロシクお願いします。
針山真実
今後のスケジュールについてです。
まず大人クラス。
火曜日の11時30分クラスは、1.3.5週目が針山。
2.4週目はあきこ先生。
金曜日大人クラスは、1.3.5週目があきこ先生。
2.4が針山。
木曜日の12時のクラスは閉講します。
土曜日のイントロクラスは私の体調次第でユイ先生にお願いすることになります。
子供クラス。
ジュニアクラスの年齢であれば、もしも私の体調が優れなくても口を使って身振り手振りで指導することが可能ですが、小さな子供たちのクラスでは示しがつきません。
しばらくユイ先生にキッズブルーを担当していただき、ワタシは時々親分として?!体調の良い日に指導に行かせて頂きます。
なお5月の発表会の作品も考慮した結果、3月から土、日のピンククラスは由美先生に担当して頂きます。スケジュールはまた改めてわかりやすく書き直しますね。それではみなさんも自分に優しく!!!
最後に先日のパフォーマンスより満面の笑みの私で終わりにします。
真実先生、私もみんなも先生が大好きです。焦らずゆっくり休んで下さいね。ゆっくりゆっくり。